円月橋

小石川後楽園

水戸の副将軍、黄門様が残した思想の体現空間

東京ドームや、テーマパークが位置する文京区・後楽園。この地に、そもそもの語源となった広大な日本庭園があることは、東京に暮らす人も意識することは少ない。

またこの庭園を成立させたのが、かの水戸の副将軍、黄門様こと徳川光圀公であることもあまり知られていない。しかしいざ足を踏み入れれば、歴史家・思想家として活動した彼の心象風景を、体感できる空間が広がっている。

静寂で美しい空間

都心に位置するとは思えない、静寂で美しい空間がひろがる

後楽園は、もともとは徳川御三家の水戸藩邸の庭園として始まった。藩祖の徳川頼房は和風庭園の様式を整えたようだが、その次代である徳川光圀は、そこに自身の思想ルーツでもある中華様式を大胆に加えて完成させた。

園内にいくつかある中華の影響で、最も際立つものが円月橋である。

円月橋をみおろす風景

円月橋をみおろす風景

大きく曲線を描いた石造の橋だが、この種の橋は日本庭園において珍しい。見た目の趣向としては、半円のデザインが水面に映ることによって、満月のように見えることを意図したと言われている。

その背景にある中華の影響を、庭園文化研究家の田中昭三は下記のように指摘する。

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この種の石橋は、中国江南の水郷都市へ行けばいくらでも見ることができる。(中略)そんな橋を庭園のなかに取り込んだのは、例えば茶人が朝鮮の雑器を侘び茶の道具として愛用した発想と似ているともいえる。いいかえれば橋本来の意味性を薄め、それを庭に置くことによって新たに生まれた造景性を喜んでいるのだ。

引用元田中昭三, 『江戸東京の庭園散歩』, 17頁, 2010年, JTBパブリッシング

他にも江戸の大名庭園の流行となった西湖堤や、小廬山など、中国の風景を模した点景が園内にいくつもある。

小廬山

左手が小廬山。元禄期の大地震以前は、滝が流れていたという。

徳川光圀のライフワークであった歴史書『大日本史』の編纂は、中国の『史記』に影響を受けてはじまった。やがてこの『大日本史』が、幕末を大きく揺り動かす水戸学・尊皇攘夷運動へとつながっていく。

江戸初期。この後楽園の作庭時に、まさか水戸の副将軍が倒幕を考えるわけもない。純粋な中国への憧れ、リスペクトの影響で作られた空間であるが、いまとなっては歴史の面白さに、思いを馳せずにいられない庭園である。

訪問にあたり、一点ご留意いただきたいのが東京ドームの存在だ。

背景として存在感をたたえる東京ドーム

ところによって、背景として存在感をたたえる東京ドーム

世界トップクラスのシェアを誇る観光ガイドブック『lonely planet』の東京版でも、東京ドームの存在は借景として、否定はされていない。

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現代では、東京ドームが借景として存在するが、それでもなお東京のなかで、最も魅力的な庭園である。

引用元Lonely Planet, 『Lonely Planet Tokyo (2015)』, 140頁, 2015年, Lonely Planet

しかしぼくらがお伝えしたいのは音の問題だ。

東京ドームではプロ野球やその他催事などで、大きな音を発するイベントがよく行われている。それは後楽園の静けさ、美しさには不要なものだ。

もし可能であれば、東京ドームで大規模なイベントが行われていない静かな時間帯の訪問をおすすめしたい。

鴨

涼やかな鴨の姿も楽しめる

MAP

PLACE
小石川後楽園
TEL
03-3811-3015
ACCESS
東京都文京区後楽1-6-6
URL
https://www.tokyo-park.or.jp/teien/contents/index030.html
情報更新日: 2018年08月04日

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